【第3弾】厚生省を3年で辞めた私――30年後に思う、上司への感謝と後悔

政治(選挙)・社会

厚生省に入って3年目。

私は保険医療局の書記室へ異動しました。(書記室は上司の推薦がないと中々行けない部署です。)

そこで、後に

当時、厚生省の幹部で、さらに環境事務次官も務められた炭谷茂さんとも仕事をしました。(現在、済生会の理事長)※済生会は明治天皇が造られた社会福祉法人。皇室との深い関係のある巨大組織です。

当時の私は、もちろんそんな将来のことなど知りません。

私は出張や旅費関係の仕事などを担当しました。

しかし、その仕事に悩むこともありました。(当時、国家公務員の天下り、裏金、空出張などが、国会、マスコミ等で取り上げられ、特に空出張に関しては、震災で不通になっている神戸まで新幹線で行った旅費を切ってる官庁があったなど、具体的に取り上げられたテレビを観て非常に不安になりました。なのでお金を管理する重要な仕事でしたが、係を変えていただけるようお願いした記憶があります。)

仕事の忙しさに加えて、自分自身の体調の問題もあり、次第に仕事を続けることが難しくなっていきました。

そして私は、厚生省を3年で退職することになりました。

今でも心に残っているのは、異動や退職を考えていたときに、多くの上司や先輩方が私を心配し、支えてくださったことです。

当時の私は、その期待に十分応えることができませんでした。

「もっと頑張ればよかった」

「せっかく期待してもらったのに」

そんな後悔は、今でもあります。

また、当時、中島洋次郎先生とお会いする機会を作っていただいたこともありました。

秘書の方のご厚意で(議員会館で)面会の機会をいただいていたのですが、仕事の忙しさや体調の問題もあり、結局お会いすることができませんでした。

30年以上たった今でも、そのことを時々思い出します。

当時の私は、まだ若い職員でした。

目の前の仕事をこなすだけで精いっぱい。

周りの方々が自分にどれだけ気をかけてくれていたのか、そのありがたさを十分に理解できていなかったのだと思います。

今、55歳になって振り返ると、厚生省を辞めたことについて、後悔が全くないと言えば嘘になります。

「もう少し頑張れなかったのか」

そう思うこともあります。

でも、一方で、23歳からの3年間で得たものは、とても大きかったと思います。

検疫の仕事を通じて、国民の健康を守る仕事の重要性を知りました。

阪神・淡路大震災やコレラ、地下鉄サリン事件など、社会を揺るがす出来事を経験しました。

そして、上司や先輩方から、仕事のやり方だけではなく、人との付き合い方や社会人としての考え方を教えていただきました。

今になって一番強く感じるのは、後悔よりも感謝です。

仕事が遅かった私を見捨てず、いろいろなことを教えてくださった上司。

飲みに連れて行ってくださった方。

人生について相談に乗ってくださった方。

そして、異動や退職のときに心配してくださった方。

30年以上たった今だからこそ、伝えたい言葉があります。

「あの頃は期待に応えられなくて、大変申し訳ありませんでした。」

そして、

「本当にありがとうございました。」

私は厚生省を3年で辞めました。

でも、その3年間は決して無駄ではありませんでした。

若い頃の失敗も、後悔も、人から受けた優しさも、すべて今の自分につながっています。

20代だった自分には分からなかったことが、55歳になった今、少しずつ分かるようになってきました。

あの3年間は、私の人生の大切な財産です。

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