私が群馬で暮らす中で、今でも心に残っている政治家がいます。それが、中島源太郎先生と、そのご子息の中島洋次郎先生です。
中島家といえば、群馬の歴史を語るうえで欠かすことのできない家系です。中島源太郎先生の父・中島知久平氏は、現在のSUBARUにつながる中島飛行機を創設した人物です。太田を日本有数の工業都市へと発展させる礎を築いた「飛行機王」として知られています。(神奈川県立自立支援センター)
私が特に印象に残っているのが、「群馬に海を」という言葉です。
群馬県には海がありません。しかし、中島源太郎先生は、茨城県の港と群馬を道路で結ぶことで、群馬から太平洋へ短時間でアクセスできるようにするという夢を描いていました。
実際、1992年4月17日の国会本会議では、中島源太郎先生について「群馬に海を」という夢を初当選以来訴え続けていたことが紹介され、その具体的な構想として「茨城の港と結ぶ北関東横断道路」が語られています。(国会会議録検索システム)
そして、その夢は時代を超えて現実になりました。
現在の北関東自動車道は、群馬県高崎市から栃木県を経由して茨城県ひたちなか市まで約150キロを結んでいます。2011年には全線が開通し、群馬から茨城・太平洋側へのアクセスが大きく向上しました。(NEXCO 東日本)
「群馬に海を」という言葉は、単なるキャッチフレーズではなかったのだと思います。
そして私は、中島洋次郎先生にも同じような思いを感じています。父・源太郎先生から受け継いだ群馬への思いを胸に、政治の世界で活動された先生でした。
私自身、群馬で暮らし、仕事をしてきた一人として、かつて語られた夢が道路という形で実現していることに、感慨深いものがあります。
今では当たり前のように利用している北関東自動車道。その背景には、群馬の未来を思い描き、「群馬に海を」と語った先人たちの夢がありました。
中島源太郎先生、そして中島洋次郎先生。お二人をしのびながら、群馬の歴史と、未来を切り開こうとした政治家の思いを、これからも記録として残していきたいと思います。

